【英国メディアから#22】Gurdian: Margaret Thatcher_20 ways that she changed Britain
2013年4/14付、The Gardianのから、
Julian Coman氏 による” Margaret Thatcher: 20 ways that she changed Britain”の記事。
8年前の記事だが、全く古さを感じさせない、
“Thatcherism” (サッチャリズム)と英国の歴史を学べる内容。
【※首相任期: 1979年5月4日 - 1990年11月28日】
通称”ブルジョワ革命”と呼ばれた、
イギリス経済再興にフォーカスした彼女の政策。
シティ周りの金融や小売サービス業のみが潤い、伝統的な製造業は衰退を招く結果に。
“高い失業率”、
”製造業や福祉国家を壊した”などの批判もあるが、私個人的には、1980年代の英国には必要だったもの、だと思う。
Iron Lady(鉄の女)と呼ばれる彼女が、
英国🇬🇧を変えた20の方法とは!?
記事の中の幾つかをピックアップする。
①City of London(シティ・オブ・ロンドン)の変革
※注: ”City of London”(=the City:シティ、またはthe Square Mile:スクエア・マイル)は、ロンドン市長(Lord Mayor of London)が首班、シティ・オブ・ロンドン自治体(City of London Corporation)が執行する特別の自治エリア。大ロンドン庁のロンドン市長(Mayor of London)によって統制される、ロンドン残りのエリアとは一線を画する。
→1970年代後半まで、シティは裕福な男性のためのクラブの様だった。ビックバン(Financial Market Shock)は、そんな時代を吹き飛ばし、サッチャーの選挙から6か月以内に、為替管理が解除され、外資が英国に殺到。
1986年の証券取引所の規制緩和によって、”世界の獣たち”(=インターナショナル企業群)が英証券市場に参入。サッチャーの自由市場政策の規制緩和により、再び証券市場が活性化。金融セクターは1,254億ポンド、9.4%の価値があると推定された。
②民営化
→1986年9月〜放送された有名なTVコマーシャル。パブで何かに夢中になった男が、通りすがりの郵便配達員にぶつかり、自転車から転倒しそうに。実は、この男はブリティッシュ・ガスの株を買うことができるというニュースに夢中になっていた。
これは単なるPRの神話ではない。
”資本主義”に便乗し、一般投資家達によって人気株が争奪戦に。400万人が、(国営→サッチャーにより民営化された)ブリティッシュガス株を£135ポンド/取引で入札。その後、多くの人が、即売りに出して、利益を得た。
サッチャーの第2期には、(同じく彼女に民営化された旧国営企業株の)ジャガー、ブリティッシュテレコム、ブリットオイル、ブリティッシュエアロスペース株も売却。その後、ブリティッシュスチール、ブリティッシュエアウェイズ、BP、水、電気がそれに続く。
彼女が言う民営化とは、「Power back to the people」。とは言え、プログレスグループのディレクターであるロバート・フィルポット氏が先週書いた記事によると、「この2012年において、サッチャーの電力民営化の結果が、英国民から力を奪った事実は明らか。英国の(個人)株主達は、そこまで影響力を持っておらず、非英国の会社(例:独RWEや仏EDFなど)が、英国市場で存在感を発揮しているのだ。」と。
③Open All hours (小売店の日曜営業)
→小売店の日曜営業許可のサッチャーの法案は、キリスト教右派の反発で、1986年に却下。(キリスト教的に、日曜は安息日なので労働してはいけない。)下院への提議した法案の中で彼女の唯一の敗北であったが、ショップやパブの規制緩和への道はここからスタートへ。
④教育改革
→1986年から89年にかけて、サッチャーの教育長官であったケネス・ベイカー氏は、英公立学校のシステムを変革。
ベイカー氏は、各公立学校のレベルを公表した「リーグテーブル」(ランク付)をつくることを主張。同時に、満員でない限りは全希望者を受け入れるように指示。
英国の親は、理論上は(現実は、人気学校に定員が集中し選べないのが実情だが。。)子どもがどの学校に行くかを決めることが可能に。
地方自治体による教育施策も1988年の教育法によって大幅に変更され、各予算と校長の任命についての自治権が与えられた。 また、政府のアカデミープログラムの中では、自治体による裁量権がさらに深まり、”フリースクール”というオプションも追加された。
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