2022/1/9 手放したものと得たもの


 本日は、先月亡くなった伯母の四十九日法要(納骨)のため、白金高輪の龍源寺へ。


▼白金高輪の龍源寺



英士は、初めてネクタイ結んで、3ピーススーツで正装を。↓


 龍源寺は、10年間働いた前職の前オフィスの近所。

 当時から7年以上の時を経て、周辺が様変わりした様子に目を見張る。

 当日ランチでよく通っていたお店が潰れて、その後に高層マンションが立ち並んでいたり。。
 かと思ったら、当時の面影のままのお店も。

 法要後は、車で六本木ミッドタウンへ。
前職時代に打合せや会食でよく行ったこの場所も、本帰国後初の7年ぶり。

 絵に描いたような、ザ都会の洗練されたお店やレストランには、子育てに追われ、久しく遠ざかっていた空気が漂う。

 当時は、踵の高いヒールをコツコツさせながら、ジャケットを着て、打合せやイベントに通っていたっけ。。

 込み上げてきた懐かしさと共に、寂しさで一瞬鼻の奥がツンとなる。
 この7年で手放したものを、目の前に突きつけられたような。

 でも、両手にはかけかえのない子ども達。
手放したもの以上に、得たものが確実にある。

 人は何とも愚かで、
時として、失ったものにばかりに目を向ける。
それ以上に得たものが、霞んでしまって。

 でも大切なのは、今と向き合う力 。
人生は重ねてきた経験を鏡にして、自分をつくり上げていくもの。
 計画通りに進むことではなく、その時々の経験を自分の糧にすること、起こった事によって自分を柔軟に変えることが必要なのだ。

 今の自分の人生が好きで、1番幸せ。

 そんな事を言い聞かせながら、両手の英士丞士の手をギュッと握りしめた。

▼ミッドタウンエントランス前のベンチで遊ぶ英士。


▼ミッドタウンのエントランス前で夫と丞士。

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