【ESSAY #1】「社会とつながる」ということ
▲フランクフルト レーマー広場(Römerberg)市庁舎前にて
(※以下、出産前の2016年6月ドイツにいた頃に書いたものです。)
ドイツに来て1年と2か月弱。
こっちでの私の職業は、「Haus Frau(専業主婦)」。
自己紹介の場で、
「Was machst du?(何やってるの?)」
と聞かれ、
「Ich bin Haus Frau.(専業主婦です)」
加えて、
「Aber ich habe kein Kind.(でも子供はいません)」
と答える時の何だかやり切れない感じ。
「Ich beneide dich, weil du genug Zeit hast.」
(じゃあ時間がたくさんあっていいな~)」
「Ja.(はい).....」。
日本の生活との違いに戸惑ってばかりいた、去年の今頃。
予想はしていたが、
生まれて初めて
「社会の中の居場所がなくなった」と
実感する瞬間だった。
思えば、今まで学校・会社と、
常に組織にいた自分。
今、自分は社会とのつながりが完全に切れているんだ、
長らくそう思い込んでいた。
「よし!これでまた新しい形での社会との繋がり方を見つけよう!」とドッシリ構える余裕はまだ一切無く。
ドイツ語学校へは通っているものの、
ゼロからのドイツ語は苦労の連続で、
学校の無い日は、終日会話した人が旦那だけ。
組織を抜けた裸の自分の価値って何だろう、切れた凧みたいな私が、
もう一度社会と繋がれるのかと、
孤独で、ウジウジした毎日だった。
しかし、3人、5人、10人と友達もでき、
徐々にコミュニティーも広がってきた。
英語もドイツ語も下手なりに、
まずは、自分に少しでも興味をもってくれた人、今目の前にいる人達に、次にまた会いたいな、と思ってもらえるためには、どうしたらいいのか―。
孤独な日々から何とか脱却したく、
必死にトコトン考えた。
小さな約束だからこそ、大切にすること。
待ち合わせの10分前には到着すること。
会話では存在感を出せないから、メールや手紙で。
会話の背景となるヨーロッパの歴史・地理・文化を知ること。
接する人が少ないからこそ、濃厚な関係をつくる。
広く浅く、アメーバ状に次々と拡大する
日本の付合いの真逆。
そして今、「社会とつながる」という意味を改めて考える。
そこでふっと気づいた事。
「社会とつながる」ということは、
必ずしも組織に属するということではない。
むしろ方向性が間違った組織なら、属さない方がいい。
毎日接する人の数とか、所属ではなく、
接する人が例えわずかでも、目の前の人達を
心底思いやり、誠実であり続けること。
この小さな思いやりの連鎖が、
社会、国、歴史、と時空を超えてつながっていくんだ。
だから、目の前の小さな事に誠実に対することが、全てのものが影響しあう社会に接し、
歴史を前に動かしていくのだ。
子どもなし、ドイツ語初級、Haus Frau(専業主婦)の今の自分でも、十分「社会とつながっている」んだ。
1年前の焦っていた自分に言ってあげたい。
「おちついて。大丈夫!
”社会の居場所・つながり”はまず目の前の
人達を大切にすることからはじまるんだよ。」
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